あの夜――
東京の街灯が淡く揺らめくとき、インスタに流れた「I’ll be there.」という一字が、日本全土の鼓動を一本の光線へと変えた。
寒風が凍る朝、列はすでに東京ドームを取り巻き、手をこすり合わせた人々の指先に、暖かな連帯感が芽生えていた。

薄いマフラーに顔を埋めた老婦人は、北海道で見守ってきた時間を胸に抱き、ひとつだけ願った。「彼の投げる姿を、もう一度だけでも見たい」――その言葉は凍える空気を溶かし、列の背後に流れる温かな波となって広がった。

チケット販売の瞬間、サーバーは瞬く間に沈黙し、画面に赤く走る「待機時間：1時間15分」の文字は、希望と絶望の境界線を示した。
それでも、大学生はノートパソコンを売り、父親は幼い娘に「ショウヘイは必ず来る」と誓い、少女は凍える頬を赤らめて笑った。――それは、金額の高さよりも「目に映る瞬間」への欲求が闘いを支配していた。

数分後、巨大スクリーンに映し出された「SOLD OUT」の文字は、歓声を一瞬の静寂へと閉ざした。だが、そこから湧き上がったのは叫びではなく、若者たちの低く震える声と、国歌『君が代』の旋律。
歌声は凍える手のひらを温め、銀色のプラカードに「ありがとう翔平」と走る筆跡は、観客全員の胸に灯りをともした。 NHK記者が呟いた「スポーツの光景ではなく、心の儀式だ」という言葉は、全国のテレビ画面を通じて静かに広がった。

完売後も残った人々は、泣きながらも笑いながらも、手にした薄い紙切れに光が透けるのを見つめた。老人は「買えなかったが、ここに居たことが何よりの宝だ」と語り、若者は「2枚のチケット、1枚は譲り合いのために残す」と掲げた。
その瞬間、転売よりも“譲り合い”が勝った夜が、ニュースのトップ見出しとなり、SNSは「#翔平と共に夢が帰ってきた」で溢れた。

やがて、全国ネットの記者会見のスタジオで、オオタニは静かに胸に手を当て「皆さんの信じる力が僕をここまで導いた」と語り、涙が頬を伝った。照明がゆっくりと闇へと沈むと、画面に映し出されたのは、ひと礼だけ残した彼の姿と、「日本人の心への返礼」という小さなナレーション。
その沈黙は、言葉以上に重く、全国の視聴者の胸に永遠の“ありがとう”を烙印した。