@落語 #風刺 #ダウンタウン#トシちゃん#ダウンタウンDX#田原俊彦「ダウンタウンでらっくす」「トシちゃん、令和に迷い込む」
「ダウンタウンでらっくす」
えー、落語というのはね、今あるもんを、ないものとして、ないものを、あるように話すもんでして。で、今ないのは何かっていうと、「テレビでダウンタウンが揃ってる光景」ってやつだ。
あったじゃねぇか、昔はよォ。あの、茶色のタイルのスタジオで、変なタイトルロゴが後ろで光ってて、ハマちゃんが「どつくぞコラァ!」っつって、松ちゃんが「なんやねんそれ〜」とか言ってな。芸能人がゲストで来ては、ちょっとした失敗談を、誇らしげに話すあの番組。
『ダウンタウンDX』だ。
あれがね、とうとう終わるんだってよ、旦那。昭和の怪物、令和で力尽きるってな。
で、番組最終回、どうするかって話が持ち上がってるんだがね……問題がある。何かっつうと、主役がいねぇ。いや、主役は二人いるはずなんだが、松本人志、裁判で活動休止。浜田雅功、体調不良で活動休止。揃いも揃って「DX」から「XS」になっちまった。
芸人コンビってのは難しいもんでね、夫婦より長く一緒にいるくせに、病める時も健やかなる時も一緒にテレビ出るってわけにはいかねぇ。仲良しこよしじゃなくて「仕事の戦友」だ。「あいつがいるからやれる」ってより「アイツのせいで胃が痛い」って関係よ。
で、テレビ局が焦ってる。「どうします?最終回」って会議を開いてる。企画会議でな、ADが言うんだ。「過去の名場面集で締めるのはどうでしょう!」と。するとプロデューサーが「それ、20周年の時にもやったよね」と一蹴。次に若手が「CGで二人を合成して!」と提案。プロデューサー、ため息ひとつ、「それ、合成した時点で終わってるって気づけ」と。
まるでペットロスだよな。いない犬の影ばっか追ってんの。で、極めつけに「ダウンタウンの代わりに千鳥が出ましょうか?」って案が出た時には、会議室が地震の震源地みてぇに静かになった。
でもよ、よく考えたら『ダウンタウンDX』ってさ、そもそもダウンタウンが出てるようで出てなかった番組なんだよ。あの二人、MC席に座ってるけど、ゲストが喋ってる間ずっと斜め上見てんの。誰も話聞いてないの。たまに松ちゃんが「へぇ〜」とか言うけど、それバーチャル松本でもできる。
じゃあ、落語的に考えてみようか。最終回、どう締めるのが「粋」か。
まずスタジオをいつもの汐留じゃなくて、なんでもない空き地にする。で、ADが立ってるだけ。「今夜は、最終回…の予定でしたが…出演者が来ませんでした…」って。観客は誰もいない。そこに、スタッフが手作りの「DX」ロゴを立てかけて、風で倒れる。それを、ADが黙って拾い上げて、また倒れる。それを延々と30分。
NHK教育かっつうの!
でもな、それが一番リアルなんだよ。テレビってのは「現実を演出する装置」だったのが、いつしか「虚構を維持する努力の塊」になっちまった。ダウンタウンが揃うか?って話も、揃わないほうがリアルなんだよ。
松ちゃんは裁判。浜ちゃんは療養。これが現実。「夢の再会!」とか言って無理やり出しても、それ、見てるこっちが気を遣うじゃない。「大丈夫かなぁ…喋らんでええのに…」って。
そう思ってたら、ネットで見たよ。「最終回は収録ではなく、生放送の可能性あり」って。…ね、もう怖いよね。生放送って、あれだろ?「出るかもしれないし、出ないかもしれないし、もしかしたら何か起きるかもしれません!」っていう日本テレビの悪いクセ。
まるで昔の心霊特番だよ。「このスタジオに、松本人志の霊が現れるという情報が…!」ってナレーション入って、うっすらしたモザイクの中に金髪の幻影が見えたりして。
で、翌日ネットニュースで「“声だけ出演”が話題に」って記事が出る。もうその頃には、コンビってより、都市伝説よ。「あの二人が並んだ姿、見たことある?」って。
だけど、それがまたいいのよ。
落語だってそう。お馴染みの登場人物が、ある日突然「旅に出ちまった」「お上に呼ばれた」「病で寝込んだ」って、出なくなる。そのたびに、残った者たちが「さて、どうすっかな」と話を紡いでいく。
テレビも落語も、変わるってことが本質なのかもしれないね。
さ、みなさん。『ダウンタウンDX』最終回。期待するなとは言わないけど…ハマちゃんが「どうも〜浜田ですぅ!」って出てきた瞬間、全員で泣いちゃう準備は、しといたほうがいいよ。
泣いて笑って、あのタイルのスタジオは、静かに閉店いたします。
あとはもう、「DX、また逢う日まで」で、どうだい。
おあとがよろしいようで
2幕目
「トシちゃん、令和に迷い込む」
いやぁ、芸能界というのはね、たとえて言うなら、いつの時代も〝時代劇〟みてぇなもんでして。
主役はだいたい流れ者でね、口は悪いが義理人情に厚い。
で、悪代官はいつもニヤニヤしてて、「越後屋、お主もワルよのう〜」なんてやってる。
それが昭和の芸能界だったんだが、令和になると悪代官もリモートで会議してる時代で。
悪だくみもSlackで共有される。便利なんだか、情緒がないんだか。
で、今回の主役はあの「ビッグ発言」でおなじみ、トシちゃんこと田原俊彦さん。
「オレ、ビッグだからさ」なんて昭和に言ってた男が、令和のラジオで「ちょっと触っちゃった」って言って謝罪してるんだから、これはもう〝時代劇のラスボスが交通安全のおまわりさんになってる〟ようなもんですよ。
――で、ラジオ番組でやっちまった。
女のアナウンサーにちょこっと指で触れたとか、発言が行き過ぎたとか、まぁ、そういうことでTBSが謝罪文出して、マネージャーが平謝りして、本人も「調子に乗りました」と。
あれですよ、昭和の男ってのは、調子に乗るのが標準装備で、アクセルとブレーキ間違えたまま80年代突っ走ってた人たちですからね。今さら「乗りすぎました」って、いやアンタ、ずっとノリっぱなしじゃん、っていう。
で、太田光がまた、フォローするんですよ。「トシちゃんは俺との関係性で、ああいうことやっちゃうんですよ」とかなんとか。
あの人、優しいんだか無責任なんだかわかんない。いや、「爆笑問題」って名前の割に、問題はだいたい笑えないんだよね。
で、太田が言うには、「セクハラっぽいのを俺が面白がっちゃってた」と。
なに言ってんの、あんた?
「っぽい」って、どの辺が「ぽい」のかはっきりしなさいよ。もうその「〜っぽい」って逃げ道作るの、今どきの芸人の悪いクセ。
昭和の芸人なんか、「うん、セクハラです!」って堂々と言って、翌日坊主にして謝ってた。逆に潔いよ。
しかも、番組内で「パンツ見せたり」とか言ってたらしいけど、64の男がパンツ見せて笑い取るって、
それ、芸じゃなくて事件だよ。
それを「キャラだから」とか言ってごまかすのは、もう「芸の老害化」ってやつでしてね。
これはもう、「芸能界という大浴場のヌルま湯に、裸のまま昭和が浸かってる」って状態ですな。
で、これだけ騒ぎになって、事務所も謝罪して、TBSも「人権方針に則って対応します」とか言ってるんだけど……
それでいて、トシちゃんは「81枚目のシングル発売パーティー」で「令和バージョンにアップデートする」とか言ってる。
令和バージョンのトシちゃん……
それ、誰が望んでるの?
いや、本人以外誰もアップデート待ってないでしょ。
下手すると、「令和の最新型セクハラ」とかになりかねない。
でもね、ここが日本の芸能界の怖いところで、
「不適切発言」ってのは、謝るとだいたい芸歴が伸びる。
「やらかし」が「味」になる。
松本もそう、太田もそう、トシちゃんもそう。
つまりね、「反省芸」っていう、新ジャンルがあるんですな。
本人が反省してる顔をカメラで抜いて、コメンテーターが「でも昭和のスターってそういうとこありますからね」とか言ってくれる。
で、次の週には「やっぱトシちゃん、エンタメ界のレジェンドだよね」と持ち上げる。
この一連の流れ、もう様式美ですよ。
〝反省〟をもって〝伝説〟と成す。令和の芸能界、すなわち「禊バラエティ」。
ただねぇ、そろそろこういう文化、見直した方がいいんじゃないかね。
芸人が芸で笑わせずに、過去の失敗で笑いを取るってのは、「芸の自傷行為」だよ。
で、視聴者はそれを見て、「ああ、オレよりダメなやついるんだ」って安心する。
それ、エンタメっていうより、カウンセリングじゃないかい?
というわけで、
トシちゃん、これから令和バージョンにアップデートすると言ってましたけども――
アップデートしたら「自動センサー付きのジェントルマン」になってるかもしれませんな。
女の人が来たら、5メートル手前で回避する。
マネージャーが「トシちゃん、そこ段差あります!」って言ったら、「すいません、言動気をつけます!」って土下座する。
そのうち、「笑いの倫理ガイドライン」に準拠してボケる芸人ばっかりになる。
でもまぁ、芸能界ってのは、いつの時代も「調子に乗った奴が、転んで起き上がって、また乗る」っていうのが、
ひとつの〝芸〟でございますから。
令和だろうが、トシちゃんだろうが、最終的には「なんであの人、あんなに愛されるんだろうねぇ」って言われるところまでがセット。
それが芸能。
それが昭和の生き残り。
そして、たぶん――それが、トシちゃんなんだよねぇ。





