時代背景:
2000年前後の日本は、バブル崩壊後の経済停滞が長期化する中で、公共事業の抑制や輸出不振によりセメント産業も苦境に立たされていました。環境面では、1997年の京都議定書採択を機に、地球温暖化対策や資源循環の重要性が高まり、「ゼロエミッション」や「リサイクル社会」が政策と企業のキーワードになり始めていた時代です。
廃パチンコ台がセメントに生まれ変わる
太平洋セメントは、95年にパチンコメーカー大手・平和と共同で、廃パチンコ台を固形燃料(RDF)化してセメント原料とする無公害処理システムを熊谷工場で稼働させました。パチンコという娯楽とエコという理念が、産業廃棄物処理という文脈で邂逅するこの構図には、平成期の日本の矛盾と可能性が凝縮されていました。
都市ごみ焼却灰との統合プロジェクト
その後、越谷市からの依頼により、都市ごみ焼却灰のセメント原料化にも取り組み、「灰水洗処理システム」によって塩素を除去。2000年には厚生省の認可を受けると、埼玉県内63自治体が参加する広域処理協定へと発展。2001年7月からは年間6万5000トンもの焼却灰を熊谷工場で受け入れる体制が整いました。これは県内で埋立処分されていた焼却灰の約25%にあたり、処分場逼迫への具体的な解決策として注目されました。
エコセメントという新たな製品群
こうして生まれたのが、「エコセメント」。従来のセメントよりも廃棄物の再利用率が高く、環境負荷も少ない。普通型と速硬型が開発され、前者は鉄筋構造物から地盤改良材、後者は早期施工が必要な場面に適用されるなど、製品としての実用性も兼ね備えていました。塩素分の脱離技術が進み、日本工業規格(JIS)への適合も視野に入ったことで、従来の品質懸念も克服しつつありました。
“エンタメ廃棄物”とインフラの融合
この取り組みのユニークさは、いわゆる「遊び」の副産物であるパチンコ台が、インフラの基礎となるセメントへと変貌するところにあります。娯楽と環境保全、消費と生産、都市と地方。そうした異なる領域をつなぐ技術と制度設計が、この時代ならではの社会的挑戦だったのです。
制度と経済の結節点としての意義
この事業は、通産省の「生活産業廃棄物等高度処理・有効利用技術研究開発」に位置づけられ、政策支援と企業技術が連動した数少ない成功例でした。さらに千葉県の市原市では、三井物産と共同で年間11万トンのエコセメントを製造する新工場を設立。エコタウン構想やゼロエミッション政策との連携が、エコセメントを単なる製品ではなく、持続可能な社会の象徴へと押し上げたのです。
結び:
「パチンコ台がセメントになる」という一見突飛な話には、廃棄物社会日本が抱える問題とその解決へのヒントが凝縮されています。再利用の技術、自治体との広域連携、制度との接続――すべてが噛み合ったとき、娯楽の残骸は社会を支える礎へと変わるのです。





