僕たちは、24時間『構造』の中で生きているのではないか?仕事では有能な社員、家庭では良き父。そんな「役割(記号)」としての自分に、どこか息苦しさを感じていませんか。
今回は、浅田彰『構造と力』を補助線に、現代の「推し活」や「コンテンツ消費」のあり方をハックします。櫻坂46のライブで大園玲さんに射抜かれた瞬間の「前面の鳥肌」という個人的な体験から、構造の網目をすり抜ける「実存」の時間をどう取り戻すかを語ります。
キーワードは、三宅香帆氏も指摘する「考察ブーム」への違和感。作者の意図という正解を探しに行く「考察」は、没個性への近道かもしれない。ならば、僕たちはあえて「誤読」し、「勝手な批評」をぶつけることで、構造から逃走できるのではないか。
没個性なんて、仕事だけで十分じゃないですか?
【トピックス】
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前回のおさらい:記号としての自分、実存としての自分
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推し活は「記号消費」か、それとも「実存の震え」か
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友人の「コールへの冷め」と「リフへの熱狂」に見る身体の叛逆
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櫻坂46のライブで起きた、背面と前面の鳥肌のミステリー
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三宅香帆『考察する若者たち』から考える、考察と批評の境界線
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なぜ「誤読」こそが、僕たちの実存を守るのか




